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平敷屋の特色

HISTORY AND CULTURE

磨けば光沢を発し、「優雅にして華麗」と評される象牙色のこの「トラバーチン」やフコイダンやミネラルを豊富に含んだ勝連産モズクを紹介します。

平敷屋のトラバーチン(大理石)

名称はトラバーチンで、ラテン語から出たものである。
平敷屋ではエーマ石又はククチー石と呼んでいる。
昭和4年(1929年工学博士武田吾一氏が琉球の 古称ウルマを取ってウルマ石と命名し、その後大阪の 金王石所が金王石と命名するなど、幾多の異称がある が、現在取引上の名称は「琉球トラバーチン」(俗称ウルマ石)とされている。
成因は水に溶解した炭酸カルシウム(炭酸石灰が再び水中に沈殿して固まった もの)で、石灰岩洞窟内の鐘乳石が形成されたのと同一原理に基づいており数万年を経て生成したと考えられている。
性状は普通の石灰岩には見られない石灰石の結晶及び貝殻を含有し無数の小孔がある。
切断面は象牙色及び白色の条層又は渦紋を織り出し雅致に富み、石質極めて固く磨けば光沢を発する。

琉球トラバーチンの特色

特色としては防音・防湿・防熱の性能があり、その追雅な色調、麗妙な斑紋は高尚優美なること他の石質装飾材の追随を許さぬものがあり、自つ一般大理石の如く、其使用場所に適不適なく、建築物の内外至るところ可ならざるはなく実に重宝な高級石材である。
使用の状況として、琉球トラバーチンは大平洋戦争以前に既に二万御が国会議事 堂建築に使用されて、大いにその美観をそえていることは周知の通りであるが、 更にその後、正金銀行、三菱信託、大丸、松坂屋、十合、高島屋、関西人学、料亭いろは、阪急、阪神などでも使われている。
特に戦後皇居の大広間壁面を飾るトラバーチンは華麗にして優雅であるといわれる。
いまや全国各都市の代表的な近代建築に使用されて益々その真価を発揮しつつあるのであった。
琉球トラバーチンは単に建築資材だけにとどまらず装飾品、彫刻資材として現代造形美術に欠くことのできない高級資材 として使用されている。なおこのほか砕石して人造大理石の原料として、 または粉末化して鶏のカルシウム補給に不可欠の養鶏飼料として珍重されている。

平敷屋の水産業

戦前各字にあった水産組合は沖縄戦で、水産施設は殆ど壊滅し、とくに平敷屋の水産組合は、前ヌ浜(現ホワイトビーチ)を本拠地としていたので、漁業は全滅の状態に陥った。
1951年(昭和26年)軍令を以て、琉球協同組合法が公布され、従来の水産組合は漁業協同組合に切替えられ、漁民の協同組合が強化された。
1952年 (昭和27年)に南風原漁業協同組合(外間伊治 組合長、組合員28名)が、1958年(昭和33年)には勝連漁業協同組合(南原堅芳 組合長 組合員 330名)が設立認可された。
当時は、1市町村にひとつの漁業協同組合という厳しい制度であったが、二つの村では組合認可の理由として、両方の漁場が違う為、漁種も全く違い、根本的に漁携の仕方が異なるので、特別な配慮をと再三交渉した結果、軍民両政府も認可に踏みきったのであ 概対面組合とも近代化漁法により水産業の振興に努め、漁港も整備されつつある。
勝連漁業協同組合(平敷屋、津堅、浜比嘉の各支部)の1965年(昭和40年) 現在の漁獲高は、142,499キロで、売上高は75,953ドル40セ ントとなっている。
平成6年5月現在の組合員は372名(正組合員170名、準組合員202名)で平敷屋漁港も見違える程に整備され、漁船も大型化して近海漁業発展の為、組合員は一丸となって取り組んでいる。
同漁協の魚種は主にタイ類、アジ類、マチ、メバル、タコなどが多く漁獲されている。日曜日を除くセ リ市場では地元業者をはじめ遠くはコザ、金武、石川、安慶名方面からも末者が参加して、毎朝の競りでにぎわっている。
とくに同漁協の魚類は、みな新鮮なものばかりで、中部地区におけるタンパク質の供給源として重要な役割を担っており、セリ市は活気を呈している。そのほか、養殖モズクの受託販売行っている。

モズク養殖業の進展

同組合の漁業区域は中城湾での沿岸漁業を中心にして行われているが、近年、モズク養殖は大きな進展をみせており、町の主要産業として大きな期待が寄せられている。
また放流事業等による「獲る漁業」から「つくり育てる漁業」への転換やパヤオなどの設置による沖合資源の活用も盛んに行われている。町でも漁港の整備拡充等、生産基盤整備も引き続き実施して漁業近代化と生産の拡大に努めることになっている。

勝連産モズク

平敷屋にはモズク生産量日本一の勝連漁協があり、モズクは区の大事な宝。
毎年4月第3日曜日の「もずくの日」には勝連平敷屋漁港でイベントを開催しています。 モズクの歴史や生産量などを紹介していきます。